嗚呼、憂鬱也。

2006年6月8日
初めまして、こんばんは。嗚呼と書いて嗚呼と呼ぶ。貴女と貴方と彼方に送る。私のためだけの場所にようこそ。あら、貴方は……まぁ、紛れ込んでいましたか、そうですが、でも、折角ですから覗いて行かれてはいかがですかな?



1:帰る→さようなら


2:残ってみる。







おや、珍しい虚無に興味を示される貴方は何を好んでこんなところに………嗚呼、お客様、すみませんでした。詮索はしないが私めの役目にあります。気分を害されては申し訳ない。もしかしたらもう飽きていますか?

1:飽きた→さようなら



2:もうちょっと見てみる。








へぇ、お客様は暇を持て余している。いえ、詮索ではないですよ。断じて詮索ではございません。おや、なんですかその残酷な目は!あなたは幼少期のクマの瞳のつぶらな光を忘れてしまいましたか、ところでクマというのは恐ろしいどうぶつですがどうしてデフォルメされることが多いのでしょうかね?クマですよ熊!目の前に突如として現れて御覧なさい、どうします。2mを越え手を一振りすれば貴方を殺せる。あの化け物。それをカワイイというデ。○ニーがパクッタあれを!あんなものを!・・・嗚呼、すみません。貴方にこんな事を話して、というのこの思想が何の役に立ちますか?でも、グルミーはかわいいですよね。嗚呼、なんて可愛いんでしょう。我がグルミーぬいぐるみ!・・・なんですか?その眸は!

嗚呼、疲労困憊。

2006年6月8日
筒井 康隆という作家に嵌るも本を読む暇が無い。というか課題をやる暇が無い。課題をすると本を読めず、本を読めないことは苦痛だが、課題をしなくては困るのは私一人であることが最大の難点である。

さてところ変わって、話題も変わる。もし仮に、人生にリセットボタンがあるとする。もし仮に、人の一生が100年という単位であったとしよう。(余談だが天国の本屋でもそんなフレーズが出てきますね。)リセットボタンを用いて一生をやり直せるがそれまで生きてきた年数をx年として100年からx年が引かれて0歳からやり直せるとしたらどうだ。どの年でやり直すことにするだろうか?もちろん環境的な配偶は今と同じとする。
リセットボタンを用いたとして一生をやり直すなら記憶も無いうえ0歳からのスタートだ。0歳から15歳までは日本人なら学生の職業をしないといけないし、高校を卒業してない人を雇ってくれる場所があるとは思えない。だと、20歳ぐらいまでは学生ということになる。その間多くの環境因子が性格を構成し、素晴らしいあなたが創造されるに行たっても寿命は短い。
例えば15歳でリセットしたとしてそんな人がその後何度人生をやり直しても無駄な気がする。多分同じように無駄なタイミングでのリセットを選ぶ気がするからだ。

私はリセットをするよりは今の方がいい生活をしている自信があるが・・・
貴方はいかがだろうか?

嗚呼、悟る。

2006年6月10日
人が自分にとっての神(信仰対象)を作るのは単純で容易である。ここに1冊の本がある。筒井康隆全集の20巻、富豪刑事なのだが。今私にとって物書きと言えば筒井康隆であります。文章を読むのはそれまで詠んだ作家とは違った文章構成に対しての尊敬の念からであります。尊敬には友情と同様に(程度はあれど)無償の行為でありますし、尊敬とはある種自分にとっての信仰対象を作る行為であります。という事で私にとっての現在の神は筒井康隆であります。いや、待て、お前にとっては読書する程度が神を作る行為なのか?と言われれば、そうだと言うのですな。ありえないというなら聖書を読み解く事を主とするキリシタンというのは貴方にとっては存在そのものがありえないものなのでしょう。もしくは音楽でもそうです。聞くだけで心に響く音楽というのは確かにあります。それを信仰していけば自信にとっての神を作り出すことなど造作もありません。貴方にとっての信仰対象とはなんでしょうか?

さて、前置きはこれほどに致しまして本題です。昨日の「ほぼ日」に糸井重里が面白いことを書いていました。人は自分のその程度しかない技能と言うのを自分自身で理解しているが、もし、借りに貴方も知らない潜在能力が貴方の内部に眠っていたとします。あなたが超能力者であるとしたら、貴方はそれだけで今のモヤモヤとした現状から飛び出て、世界中のどんな他人よりも大きな可能性が容易に手に入ることになりますよね?そういうことに対して憧れを持つのは当たり前だと書かれていた。全く持ってその通りだと思うし、自分自身がそういうことを思っていたが故にその真理に行き着かなかった。言葉にされるとわからない事も世の中には多くありますが、明確な言葉にされると自分の中のモヤモヤが取れすっきりする事もあります。ただ、材料力学の問題はどう足掻いても意味がわかりませぬ。合掌

嗚呼、我ながら愚か

2006年6月11日
筒井康隆が大好きだと語っているのでは芸が無いので、村山由佳のことについて書いてみようと思う。村山由佳は恋愛小説を書かせるならこの方!と私一押しでございます。筒井康隆共々是非ご一読を!

さて、本日はコラムめいた文章を書くのも堅苦しいので普通に日記を書いてみようと思う。なぜこんな誰も見ないのに肩肘張っているのかはよくわからないが、そこにツッコミを入れたらたぶん負けです。ということで負けないように頑張れ。はい。今日は土曜日で学校が休み。嗚呼、なんて素晴らしい響きなんでしょう!休みって!そんな感じで2駅先まで自転車を走らせゲームセンターに行って散財してきました。いじょ。

眠くて文章になりません。

嗚呼、己がと言う

2006年6月11日
助力と言う言葉があまり好意的に受け取れない。理由は特に無い。昔ならば人間嫌いに私にあっては理由を探すことなど造作も無かったが、今の私にはそれに対する理由が無い。ならば何故?と聞くのはナンセンスだから問いかけは無駄というもの。人の助力こそ強さへの1歩と知るべし。その為には己がという言葉が要らないこと、そこから全てが始まるのであろう。うむ。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索