以下をとても解りやすく纏めると

「文章の改稿は面倒で、行っていなかったが、流石に最近の思いつきで書かれた文章は酷すぎる。見苦しい文章を書くのをやめ少しは読まれることを意識しようと思います。」

となる。

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解っちゃいるけど〜やめられない〜

そんな事世の中・・・いえ、節操ない私の生活ではありがちもありがち常駐しているウィルスも同じであります。

例えばゲームだって毎日のようにやってますが、もしも、その時間を別の時間に回したらスキルアップになるわけですよ。仮に、その時間をシスアドの資格取得勉強の時間に回したとすれば、10日もあれば一通り学習することは可能だと思います。

しかして、そんな絵に描いた餅みたいな空想論が実行できるかと云えばほとんど不可能だと解ります。むしろ、空想し、祖の様な行動を起こす事のメリットを知って尚も行動を起こそうと考えられないのは興味が無いって一語に尽きます。

私は読書も好きですし、音楽聴いているのも好きです。ですが、ノーミュージックノーライフに匹敵するほどNO GAME is NO Lifeと云えるほどゲームが好きです。

楽しい事をするのが好きで、嫌なことは何一つしたくないという子供じみた発想の元、22年間生きてきましたが、特に後悔とかしていません。むしろそういうものだと決め付けて生活してきたためか、半ば好きなもの以外の事などどーでもいいとすら思っています。

前述した通り私は本を読むことが好きです。ゲーム以下とはいえども、それは変わらないわけです。当然、文章を書くことも好きです。形式にこだわる定型型の文章ではなく、自由に書ける形が好きです。

好きな事には妥協をあまりしたくありません。
ですが、どうでしょうか、最近というか、ここ数ヶ月(・・・数年の方が正しいでしょうか?)のここの雑文ときたら。嘆かわしいを通り越して言葉であるかすらも怪しくあります。
顕著なのは以下の通りで

1.接続詞が必ず登場する。
2.「〜が」を1センテンスに何度も登場させ、文章が稚拙
3.一言で済む事を長く書きすぎる。

1などは以前から注意はしていますが、文章を書く上で使っておけばかなり強引な展開でも成り立つ便利さから乱発しすぎです。2は最近特に目立ちます。思いつきで書かれているため、出てきた言葉をそのまま綴ってしまうと読んでいて稚拙だと解る文章になります。3、過程を書くのは大変結構であるが要するに何?っていう事。一番上に書かれた3行を説明するのに10倍以上の文章を書いてしまう。面白い文章ならいいが、結果を知らせるには意味が無く読んでももらえない。面白い文章は努力しても書けないのでせめて自分が納得できる文章を書けるように努力するべき。

と、少しは現状を打破するために行動しようかと思います。
興味ないことに怠けのはいいと思うが、好きな事も怠けていては自分がいなくなってしまう。

そうさっき考えた次第です。

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