嗚呼、悟る。
2006年6月10日人が自分にとっての神(信仰対象)を作るのは単純で容易である。ここに1冊の本がある。筒井康隆全集の20巻、富豪刑事なのだが。今私にとって物書きと言えば筒井康隆であります。文章を読むのはそれまで詠んだ作家とは違った文章構成に対しての尊敬の念からであります。尊敬には友情と同様に(程度はあれど)無償の行為でありますし、尊敬とはある種自分にとっての信仰対象を作る行為であります。という事で私にとっての現在の神は筒井康隆であります。いや、待て、お前にとっては読書する程度が神を作る行為なのか?と言われれば、そうだと言うのですな。ありえないというなら聖書を読み解く事を主とするキリシタンというのは貴方にとっては存在そのものがありえないものなのでしょう。もしくは音楽でもそうです。聞くだけで心に響く音楽というのは確かにあります。それを信仰していけば自信にとっての神を作り出すことなど造作もありません。貴方にとっての信仰対象とはなんでしょうか?
さて、前置きはこれほどに致しまして本題です。昨日の「ほぼ日」に糸井重里が面白いことを書いていました。人は自分のその程度しかない技能と言うのを自分自身で理解しているが、もし、借りに貴方も知らない潜在能力が貴方の内部に眠っていたとします。あなたが超能力者であるとしたら、貴方はそれだけで今のモヤモヤとした現状から飛び出て、世界中のどんな他人よりも大きな可能性が容易に手に入ることになりますよね?そういうことに対して憧れを持つのは当たり前だと書かれていた。全く持ってその通りだと思うし、自分自身がそういうことを思っていたが故にその真理に行き着かなかった。言葉にされるとわからない事も世の中には多くありますが、明確な言葉にされると自分の中のモヤモヤが取れすっきりする事もあります。ただ、材料力学の問題はどう足掻いても意味がわかりませぬ。合掌
さて、前置きはこれほどに致しまして本題です。昨日の「ほぼ日」に糸井重里が面白いことを書いていました。人は自分のその程度しかない技能と言うのを自分自身で理解しているが、もし、借りに貴方も知らない潜在能力が貴方の内部に眠っていたとします。あなたが超能力者であるとしたら、貴方はそれだけで今のモヤモヤとした現状から飛び出て、世界中のどんな他人よりも大きな可能性が容易に手に入ることになりますよね?そういうことに対して憧れを持つのは当たり前だと書かれていた。全く持ってその通りだと思うし、自分自身がそういうことを思っていたが故にその真理に行き着かなかった。言葉にされるとわからない事も世の中には多くありますが、明確な言葉にされると自分の中のモヤモヤが取れすっきりする事もあります。ただ、材料力学の問題はどう足掻いても意味がわかりませぬ。合掌
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